パブリックコメント
香川県ネット・ゲーム依存症対策条例(仮称)(素案)に対する意見
(パブリックコメント)
2020年2月5日
はじめに
私たちマインドファーストは,メンタルヘルスユーザー,家族,市民一般からなる認定NPO法人で,臨床心理士,精神保健福祉士,看護師,保健師,医師及びその他の支援者の協力のもとにメンタルヘルスの推進と心のケアシステムの充実に向けて活動を行っています。
世界保健機関(WHO)は2019年5月25日,ゲームのやり過ぎで日常生活が困難になる「ゲーム障害」を国際疾病として正式に認定しましたが,研究者の間ではなお議論があるところです。
香川県ネット・ゲーム依存症対策条例(仮称)素案の全文を読みました。冒頭で,WHOで「ゲーム障害」が疾病として認定され,ゲーム障害が社会問題になっていることに触れていますが,素案は「ネット・ゲーム依存症」に関するものです。
「ゲーム障害」は,国際疾病として認定され,大きくマスメディアでも取り上げられましたが,「ゲーム依存症」という概念が,国際的に認められたわけではありません。条例制定の根幹の部分に,認識の誤謬がある上に,子どもの成長段階におけるスマートフォンの使用時間の長短が,その健全育成を左右するかのような誤解を与える構成になっています。
私たちは,正しいメンタルヘルスの知識の普及,子ども・若者とその家族の支援,及び条例制定と憲法21条との整合性と言う観点から,本条例制定の妥当性には疑義があることから,意見を申し述べます。
- ゲーム障害~WHO疾病ガイドラインから
2019年5月23日のWHO総会で正式決定されたWHOの疾病ガイドラインは以下のとおりです。
ゲーム障害
国際疾病分類第11版「ICD-11」第6章 精神,行動または神経発達の障害
物質嗜癖及び行動嗜癖による障害
行動障害による障害
6C51 ゲーム障害
ゲーム障害は,オンライン(インターネット上)またはオフラインの持続的または反復的なゲーム行動(「デジタルゲーム」または「ビデオゲーム」)のパターンによって特徴づけられ,
1)ゲームのコントロール障害(開始,頻度,強度,時間,終了,前後関係)。
2)ゲームが他の生活上の関心および日常活動よりも優先される程度にゲームの優先順位が高まること。
3)ネガティブな結果が生じているにもかかわらず,ゲームをまたはエスカレートさせること。その行動パターンは,個人的,家庭的,社会的,学業,仕事または生活機能における他の重要な領域に重大な支障をもたらすほどの重症度である。
ゲーム行動のパターンは,連続的または一時的であるが,反復的傾向がある。確定診断には,通常12か月以上,ゲーム行動及びその他の特徴が明らかであることを要するが,すべての診断項目が満たされ,症状が重度であれば,必要な期間が短縮される可能性がある。改訂にあたり,国連加盟国が翻訳など自国での適用へ向けた準備を行なうに当たり,公益社団法人日本精神神経学会は,Gaming disorder の和訳について「ゲーム障害」または「ゲーム症」を提案しています。
- ゲーム障害はゲーム依存症と同義ではない
ゲーム障害は「Gaming disorder」の日本語訳です。これをゲーム依存症と読み替える者もいます。しかし,ゲーム障害とゲーム依存症は同義ではありません。「ゲーム障害」と「ゲーム依存症」を区別せず議論を展開する識者や学者が少なからずいることも混乱の要因になっています。条例素案の前文には,「脳の働きが弱い子どもが依存状態になると」「大人の薬物依存と同様に」「他の依存症対策と同様に」といった表現が見られますが,「ゲーム依存症」に関する科学的証拠は充分ではなく,「ゲーム」と「依存症」との関連は明確になっていません。ゲーム依存症という疾病概念は定まっておらず,学術用語としても使用されることが決まっていません。
したがって,条例素案の前文で,世界保健機関において「ゲーム障害」が正式に疾病として認定されたことを引用し,「他の依存症対策と同様に,法整備の検討や医療供給体制の充実」と述べていますが,論理的整合性に欠けます。
さらに,専門的にはゲームのコントロール障害は,「依存Dependence)」ではなく「嗜癖(Addiction)」を用いるのが適切であるとされています。したがって,「依存症」と言う用語だけでなく「依存」という用語も適切ではありません。
- ゲームは有害なのか
「ゲーム障害」が国際疾病分類第11版(ICD-11)に加えられましたが,学術的見解は,今も大きく分かれています。
「ゲーム行為」が原因で問題を抱えている人々に一つの客観的な指標が与えられたことで,そうした人々が必要に応じて適切な支援を受けられるようになると主張する学者もいます。
米国で行われた長期間のゲームの質に関する調査では,暴力的なゲームと行動には関係がないことがわかっています。英国の小学生を対象に行われた調査では,影響を与える可能性があると考えられるのは,ゲームの種類ではなく,ゲームをプレイする長さだと言われています。しかし,ゲームを何時間以内にすれば,その影響が排除され得ると言ったコホート研究(要因対照研究)等に基づいた客観的データはありません。
素案では「1日当たりの利用時間が60分まで(学校等の休業日にあたっては,90分まで)」と,休業日の上限を長くしていることは,ゲーム行為そのものの問題よりも,学校生活や勉学への支障を強く意識したものになっています。ただでさえ,学校生活や受験勉強に追われる中で,親や教育関係者は子どもに対して,ゲームをする時間があれば勉強しろとか,スマフォをやり過ぎると朝起きられず学校へ行けなくなるなどと,学校生活や勉強と関連付けた干渉をしがちです。こうした状況で,スマートフォンの時間制限などを導入すると,家庭や学校現場に混乱が大きくなるだけです。
ゲーム依存症が医学的概念として定義されたにしても,スマートフォンの使用時間制限が保育・教育現場に持ち込まれると,校則等への影響は避けられず,さらなる同調圧力が強まる中で,正常と異常の識別,生徒の素行評価,保護者評価などのリトマス試験紙のような使われ方をされ,偏見と差別を助長しかねません。素案第18条2には,「子どものネット・ゲーム依存症につながるようなコンピューターゲーム」という文言がありますが,依存症につながるようなコンピューターゲームの判断基準があるわけでなく,保護者にこの判断を求めることは不可能です。もしこうした判断基準があるのなら,ゲーム依存症を掲げ治療を行っている専門家が,ゲーム依存症の予防と言う観点から,根拠に基づいて説明責任を果たすべきです。
スマートフォン,パソコン等の使用目的がゲームであっても,そもそもゲーム自体の有害性は立証されていません。世界的には,複数人のプレイヤーで対戦するゲームをスポーツとして解釈する「eスポーツ」の広がりがあります。賛否があるとは言え,高等学校ではeスポーツを部活にしたり,学校生活を楽しむための一つとしてeスポーツを教育現場に取り入れたりする動きも起きています。気晴らしや遊びとしての意味を持つ本来のスポーツとしてのゲームを正当に評価する態度も必要です。ゲームを前向きに取り入れる社会の動向と条例制定に矛盾が生じないよう冷静な議論が求められます。
- スマートフォン使用制限は憲法違反
素案第18条の2で,18歳未満の「ネット・ゲーム依存症につながるようなコンピューターゲームの利用にあたっては,1日当たりの利用時間が60分,(学校等の休業日にあっては,90分まで)」と制限を設けています。つまり,これは一定の年齢階層の県民に対してスマートフォンの使用制限を定めるということです。仮に目安であっても,明確なエビデンス(科学的根拠)もなく,スマートフォンなどの使用に時間制限を設けることは,香川県は基本的にスマートフォンの使用自体を推奨しないと言うことになります。名称は依存症対策条例(仮称)であっても,法体系としてはスマートフォンの使用の禁止ないし制限を趣旨としたものになるということです。IT教育と言いながら,子どもたちは罪悪感を抱え委縮してパソコンに向かうことになりかねません。
アルコール依存症については,依存症の予防と言う観点から,一日のアルコール摂取量の上限は,純アルコール量にして体重と同じ数字の量が適正とされることがあります。例えば,体重60キログラムの人であれば,純アルコール60ミリリットルということです。しかし,これについても医学的基準値ではなく,一応の目安として臨床場面で用いられているもので,この基準が守れないとアルコール依存症になるわけではなく,まして法律での縛りがあるわけではありません。
スマートフォンの使用自体は,憲法21条で保障された表現の自由です。これに対して条例で時間制限を設けると,スマートフォンの使用そのものが「法律行為」になり,憲法で禁じられた検閲に抵触しかねず,違憲状態が生じるおそれがあります。
- 正常の医療化が招く弊害
素案には,「医療提供体制の充実」が掲げられていますが,ゲーム依存症という概念が確立していないものに対して,「医療の提供」というのも非現実的です。概念が確立していないものについて啓発を行うことで,子どもを抱える家族や学校関係者が不安を煽られ,過剰診断,過剰治療を招く弊害が懸念されます。ゲーム依存症ではなく,ゲーム障害対策であっても,対策の中核を医療対策に据えるのでは,問題を矮小化させ,ゲーム障害の本質を見誤ってしまいかねません。正常範囲の子どもの行動について精神医学的見方が広がりすぎて,他の見方が入る余地がなくなることは目に見えています。今日,予防医学や健康増進への関心の高まりが,情報社会における不安産業という新たな市場を生み,過剰診断,過剰検査や正常の医療化という流れが起こりやすくなっている現状があります。「子どものネット・ゲーム依存症につながるようなコンピューターゲーム」というものがあるのなら,「ゲーム依存症」を提唱する専門家が,学術的検証に基づいた情報を提供すべきです。子育てに関わる家族や教育関係者は,こうした健康産業の網の目があることも知っておく必要があるでしょう。ゲーム障害を「不安産業」になりやすい医療対策の一角に据えるのではなく,子ども・若者支援と言う視点から,冷静な議論が求められます。
- 保護者責務の問題点
条例素案の第6条には,「保護者の責務」の章が設けられています。「子どもをネット・ゲーム依存症から守る第一義的責任を有することを自覚しなければならない」と言う文言は言わずもがなです。もし,ネット・ゲーム依存症という疾患があるとすれば,保護者が求めるのはその具体的な予防策です。単なる「自覚」という精神論で,子どもの健全育成の第一義的責任を保護者に負わせて済むものではありません。
第16条2には,「乳幼児期から,子どもと向き合う時間を大切にし,子どもの安心感を守り,安定した愛着を育むとともに」と言う文言があります。言うは易いことですが,児童虐待の増加に見られるように,今日,保護者がこうした役割を取ることが極めて難しくなっているのが実情です。保護者の努力や学校等の連携だけで,このことが実現できるとはとても考えられません。世界人権宣言16条3項には,「家族は,社会の自然かつ基礎的な単位であり,社会及び国により保護を受ける権利を有する」とあります。家族は社会の基本単位として尊重され,支援される権利を有するという「家族福祉」という視点が不可欠です。
自民党憲法改正草案の第24条(家族,婚姻に関する基本原則)の1項に,家族の規定が新たに設けられ,「家族は,互いに助け合わなければならない」とあります。これに象徴されるように,私たちの社会は,ともすれば家族内部の問題は家族の責任と努力で解決を求める方向へ振れやすい傾向があります。家族の問題を外部に持ち出すことをはばかるわが国は,問題を抱えた家族のための相談支援の窓口の整備が著しく遅れています。2019年6月,44歳になるひきこもりの長男を76歳になる元農林水産事務次官の父親が刺殺した一件からも,長年子どもの問題を親が抱え込み地域で孤立してきた家族の苦悩が伺えます。家族と地域社会のつながりで大切なことは,家族が追いつめられ孤立することがないよう,援助を必要としている家族がアクセスしやすい相談支援機関が身近にあり,多様で効果的な支援が得られることだと考えます。
- ゲーム障害の背景
大人世代の人たちも,ラジオを聴きながら勉強という「ながら」を経験してきました。テレビの時代になってからも,家族が団らんするテレビのついた部屋で勉強や宿題をする子どもは少なからずいます。多忙な現代社会では,子どもたちも,くつろぎや解放を求めています。ゲームをしたり勉強をしたりが,ごく普通の姿です。私たちの活動を通した経験でも,子どもたちのゲーム時間が長くなるのは,中学受験を目指す小学高学年,中学3年と高校3年で,部活もなくなり受験勉強一色の日々になってから目立つことがあります。このように拘束性と緊張感が高くなる時期は,子どもたちもストレスが高くなります。子どもは,大人と同様,解放やくつろぎが必要です。スマートフォンを覗いたり,勉強したりの「ながら」が一概に問題があるとは言えません。
外形的なゲーム行為だけに目が奪われ,ゲーム障害に対する過剰反応から,過剰介入,過剰治療によって子どもの心理社会的発達に二次的ダメージを与えたり,偏見を助長したりすることがあると逆効果です。教育,家庭環境,貧困,余暇活動の質,子どもが受けているストレスなど,ゲーム以外の問題が見過ごされたり,注意をそらせたりすることがないようにしておくことが大切です。
- なぜ条例制定を急ぐのか
香川県議会が,なぜこうした条例を拙速に制定しようとするのでしょうか。推察ですが,このところ県内の保健機関と一部の医療機関が連携して,「ネット依存・ゲーム障害」対策を掲げて,キャンペーンを行っていますが,こうした動きに引きずられている傾向はないでしょうか。アルコール依存症治療の基幹センターである独立医療法人国立病院機構久里浜医療センターが,次の依存症のテーマとして,ゲームと依存症の関連を喧伝し,マスメディアがトピックスとして大きく取り上げている影響も少なからずあるでしょう。久里浜医療センターがアルコール依存症治療について一定の評価を得たのは,そのヘルスケアスキームに,人間生活におけるアルコールと言う化学物質の影響を受けない「しらふ(Sobriety)」の優位性と治療共同社会における「他者愛(Altruism)」という哲学があったからだと理解しています。
このところ発信されるネット依存・ゲーム障害関連情報には,医学的知見を超えた今日の児童思春期問題や子ども・若者と家族を取り巻く社会変容への深い洞察が感じられないことは残念です。
- 結語
学術的ファクトに基づかない条例は,明文として優れていても,ざる法に終わるだけならまだしも,こうしたローカルルールが地域社会の文化に与える影響は少なくありません。ファクトとの整合性がない条例は,県民意識をミスリードしかねません。ここで一度立ち止まりゲーム障害とその関連問題のファクトチェックを行ない,今日の子ども・若者と家族がおかれた状況に対する洞察を深めることが大切でしょう。さらに,スマートフォンの使用時間を設けることは,表現の自由への干渉であり,違憲訴訟が提訴される可能性も排除されません。以下は,結論としての要約です。
①議論がある中で,WHO総会でゲーム障害が疾病として認定されたが,ゲーム障害は,ゲーム行為によって日常生活の重要な領域に重大な支障をもたらすほどの重症度があるものを言う。一方,アルコ―ルや薬物のような依存症の概念が確立しているわけではなく,ゲーム障害はゲーム依存症と同義ではない。
②今日,依存症に陥らないための適正なゲーム時間数に関する学術的データは認められない。また,「子どものネット・ゲーム依存症につながるようなコンピューターゲーム」の基準も示されていない。科学的根拠が明らかでないスマートフォン等使用制限は,実質的にIT機器使用禁止条例になる。
③未成年者の喫煙行動や飲酒行動とは異なり,子どもが納得するだけの説明ができない制限ないし禁止事項を定めると,隠れたところでの行動が目立つようになり,卑屈さ,罪悪感,反抗心,大人への不信感など,子どもの心理面や精神発達に否定的な影響を及ぼす懸念がある。
④スマートフォン等の使用制限が保育・教育現場に持ち込まれることによって,正常と異常の識別,生徒の素行評価,保護者評価などの指標として使用され,過剰介入や偏見と差別を招きかねない。
⑤コンピューターゲームそのものの有害性は立証されておらず,気晴らしや遊びとしての意味を持つ本来のスポーツとしてのゲームを正当に評価する態度も必要である。ゲームを前向きに取り入れる社会の動向と条例制定に矛盾が生じないよう冷静な議論が求められる。
⑥スマートフォン等の使用制限に関して,ことさら児童福祉法等で定められている保護者責任を強いるのではなく,それぞれ養育上の困難を抱えている保護者が孤立し追いつめられることがないよう,相談支援を受けやすい地域社会を創出することが地方自治の責務である。
⑦スマートフォン等の使用は,憲法で保障された表現の自由であり,スマートフォン等の使用に関して,一部であっても行政権が制限をかけることは,検閲の禁止に抵触する。
おわりに
日々の生活に追われ,今日大人自身が,ゆとりがない毎日を過ごしがちです。子どもにスマートフォンを与え,ゲームに子どもの相手をして遊んでもらうという現実があることも否定できません。両親とも多忙で,帰宅が遅くなり,中には持ち帰り残業や休日出勤もある家庭で,子どもはどう過ごせば良いのでしょう。親は仕事で遅くなるから,子どもだけで食事をして,宿題も済ませ,入浴して先に床に就くことを求められているのでしょうか。子どもと家族に心地良い時間をいかにして取りもどすかが問われています。
ゲームの時間制限などという姑息的な政策ではなく,家族全員が,心理的,経済的,社会的にゆとりをもって,心地よい日々を過ごせる社会づくりをすることこそ政治の役割です。大人は仕事,子どもは学校と塾と宿題。多忙な日々の営みの中で,心地よい時間を見つけることができているでしょうか。ゲーム障害への対応を巡る議論を通して見えてくるのは,大人の生き方であり,私たち社会のあり方でもあると言えます。
フランスの経済学者で思想家,ミッテラン大統領の顧問も務めたジャック・アタリ(1943年11月1日~)は,その著書 『21世紀の歴史』(作品社 2008)の中で,以下のように述べています。
「心地よい時間」とは,各自が他者の生活場面のなかに生きる時間を意味するのではなく,各人が自分の成功モデルを選択し,各人がまだ自分で気がついていない才能を含め,自らの才能を開花させていくことである。よって,「心地よい時間を手に入れる」とは,自由に長く若々しく生きることであり,市場の秩序にドップリ浸かって,労働や商品の消費に追われ,焦って時間を「活用する」ことではない。
(文責:広報担当理事 花岡正憲)
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