理事長挨拶

一年の計~相反する二極の間で思うこと

NPO法人 マインドファースト
理事長 島津昌代


年が明けて,はやひと月が経とうとしています。「一年の計は元旦にあり」と言われますが,何かにつけ三日坊主になりやすい私にとっては,そろそろ年初の気持ちを思い返して一年の計を再確認する必要を感じる頃です。

思えば,「一年の計は元旦にあり」とは,いつ頃から言われるようになったのでしょう。『月令広義・春令・授時』という中国・明代の書にある「一日の計は晨(あした)にあり,一年の計は春にあり」に基づくというのが有力説だそうですが,確かに,年が改まるということにはひとつの区切りとして特別な思いを馳せやすく,だからこそ,計画的に行動することが苦手な人も「今年こそ!」という気持ちになるように思われます。また,格別な目標は立てなくても,「健康に過ごせますように」とか「良い1年でありますように」などといったことを願う人も多いのではないでしょうか。願いは目標ではありませんが,自分がどう生きたいかという指向性を表していると思います。ただ漠然と願うだけでは何も変化しないでしょうが,強く願う気持ちがあると,自ずと行動がその方向にそって変わることもあり得ます。

さて,さすがに今くらいの時期になりますと,生活のペースも体の調子も通常モードにすっかり戻っていることと思います。正月休みなど,長期の休みに体調を崩す人は案外珍しくありません。忙しかった日常からやっと解放される…と喜んでいたら,休みに入った途端に風邪をひいてしまったというのはこの例です。きっと忙しさの中で張り詰めていた気持ちがゆるみ,疲れが表面化してきたということなのでしょう。日々を気力で乗り切ることは大事なことですが,純粋に体を休ませて疲労回復させてやることも大切です。風邪は疲労の証ですが,疲労回復のための休養を用意してくれるもののようにも思われます。風邪に限らず,体はこうして文字通り体を張って自分を助けようとすることがあるのです。こうした体のサインを無視せずに,上手に自分の体とつきあっていきたいものです。

このように見てみると,私達は常に対立する二つの極の間を揺れ動きながら生きているような気になってきます。活動と休息,緊張と弛緩,それらがもたらす健康と不健康。加えて,人には幸と不幸というのもありますし,自分で意識的にできることと自分ではできないこと,すなわち,能動と受動,自律と他律などもあります。思考と感情もそうかもしれませんし,その人の価値観に結びつくであろう善と悪や強さと弱さなどもあり,いろいろなレベルでたくさんの二極があるのが見えてきます。

よく,うつ病になりやすい思考パターンとして「完璧主義」や「白黒思考」が言われます。「完璧主義」は,言い換えればその出来栄えが100点満点か,そうでなければ0点といった二極での思考ですし,「白黒思考」は白か黒かのどちらかはっきりさせようとする,曖昧を嫌う姿勢です。現実的に「完璧」な状態を得ることはまず不可能であり,複雑な事態になればなるほど「白黒」決着のつけられないことも多々起こります。総論賛成・各論反対というのも,はっきり決着がつけられない一例でしょう。世の中は,そうしたややこしい事態に満ち溢れています。だから,単純に二者択一できず,その二極の間で迷いながら生きていると思うのですが,その反面,考えてみれば自分の体は1つしかありませんし,何かをする時は他の何かをあきらめざるを得ないのも事実です。そう思うと,小さな行動レベルにおいては,実行するかしないかといった二者択一に還元されることもけっこうありそうです。そして,その選択の連続がその人の行動の傾向ということなのかもしれません。

「禍福はあざなえる縄のごとし」ということわざがあります。ご存じのように,災いと幸福は表裏一体で,まるでより合わせた縄のようにかわるがわるやって来るものだ,不幸だと思ったことが幸福に転じたり,幸福だと思っていたことが不幸に転じたりする,成功も失敗も縄のように表裏をなして,めまぐるしく変化するものだ,ということのたとえです。やはり,幸と不幸,成功と失敗という二極の間を行ったり来たりすることが説かれているわけですが,不幸が幸になるのも失敗が成功に転じるのも,結局は行動を続けているからに他なりません。そして,行動を続けるために必要なことは,飛ばし過ぎずに淡々と行うことでしょうか。

自分の願いや望みが「わかっているから,頑張ろう」と思う時もあれば「わかっているけど,したくない」と思う時もあります。この二つの極の間で心揺れる中に私の日々の営みがあります。昨年の流行語になった『今でしょ!』を,ただの流行語として消費するのではなく,自分にとって必要な行動を引き寄せる,生きた言葉として持っていたいものです。そうして,今年も息長く地道に活動を続けていきたいと思っております。

本年も,どうぞよろしくお願いいたします。


2014年1月

新年によせて

NPO法人 マインドファースト
理事長 島津昌代


あけましておめでとうございます。

昨年は、香川県地域自殺対策緊急強化基金事業の補助をうけて新規事業がスタートしたり、会員やファミリーカウンセラーが増えるなど、法人として大きく前進することのできた年でした。ご支援くださった皆様に心よりお礼申し上げます。

しかし、新年を迎えるということが、なぜめでたいのか?巷がにぎわえばにぎわうほど、つらく感じている人は案外少なくないような気がします。

「めでたさも 中くらいなり おらが春」‐小林一茶の有名な句で、57歳の時に詠まれたものだそうですが、一茶はどういう心境だったのでしょう。一茶は、3歳で生母と死別し、8歳のときにやってきた継母になじめず、15歳で口減らしのために江戸に奉公に出されました。後に俳人となって諸国を旅し、39歳で故郷に戻ったものの、帰郷してわずか一か月後に実父が倒れ、看病の甲斐なく亡くなりました。そこから継母・弟との熾烈な遺産相続問題が12年間続きます。それが片づいた翌年、24歳下の女性と結婚するわけですが、生まれた子ども達は次々と夭逝、その妻にも病気で先立たれました。後に再婚した女性には半年で出て行かれ、再々婚したものの火事で焼け出されて、その数か月後に子どもの誕生を見ることなく、64歳で亡くなりました。家族にまつわる不幸の多い人生を送っていた一茶なればこそ、「めでたさも 中くらいなり」だったのでしょう。

一茶同様、今、つらく苦しい思いをしていると「めでたさ」を感じることは難しいかもしれません。それでも、年があらたまるということは、何かがリセットされて新しく始まりそうな期待を持たせてくれます。節目だとか区切りをつけることで、そのまま流されてしまうのではなく、事態や気持ちを立て直すことができそうです。もちろん、なんでも水に流して無かったことにしてしまうのは問題ですが、立ち止まって一呼吸入れることは必要です。

今年は巳年。十二支の「巳」は、植物に種子ができ始める時期、すなわち草木の成長が極限に達して次の生命が作られはじめる時期と解されるようです。それは、今あるものが衰退しはじめて次の可能性が芽生えてきていることとも言えましょう。また「ヘビ」は脱皮して成長しますが、「こころ」も今ある殻(思考のクセやこだわり)を脱ぎ捨てて成長するように感じます。ただ、「こころ」の場合は、古い殻を打ち破る際にいろんな苦しさを伴ってもいるようです。そうであるなら、今ある苦しさも「こころ」が育っているがゆえの軋みかもしれません。

新しい年が皆さまにとって実り豊かなものになりますよう、祈念いたします。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。


2013年1月

理事長挨拶

NPO法人 マインドファースト
理事長 島津昌代


いつの頃からか、ストレスという言葉を聞かない日はないくらい、私達が置かれた状況はあわただしいものになってきました。経済不況がもたらす影響も深刻で、今の時代において心身の健康を維持するということは、本当に大きな課題であると言えましょう。単純に、健康/不健康と二分することはできず、健康と不健康の間で右往左往しているのが現代人ではないでしょうか。うまく条件が揃えば、誰だって健康を損なうことが出来るのです。しかし、逆にいえば、一旦健康を損ねても、適切な治療と支援を得てうまく条件を整えることができたら不健康な状態から回復することも可能です。

自殺者が年間3万人を超える事態が11年も続いていますが、それは、この11年間に日本国内で東かがわ市、さぬき市、小豆郡、坂出市、善通寺市、観音寺市、三豊市の人が消えたという規模に相当するのです。こうした状況の中でメンタルヘルスの問題は、ストレスの多い現代社会を生きている私達にとって、等しく差し迫った問題であると考えます。つまり、遠い誰かの問題ではなく、自分たちの身近や自分自身の身の上に起こり得る問題だからこそ、利用者本位で「心の健康」について考え、そのケアのシステムを充実させていくことが必要なのではないでしょうか。そのような考えの下、当会は2003年 10月に発足し、2006年に特定非営利活動法人の認証を受けました。

私共の活動についてご理解ご支援賜りますよう、何卒よろしくお願いいたします。


2009年10月