国際協力 国際交流
米国家族療法アカデミー(AFTA)
第34回年次総会オープンカンファレンスに参加して
2012年5月17日-19日,サンフランシスコ
米国家族療法アカデミーは,1977 年に設立され,メンタルヘルス,社会構造及び次世代思考という立場から,システミックな家族中心の見方を推進するための取り組みと新しい情報を発信している学際的団体である。公平性,社会責任,社会正義という観点から,特に社会的に取り残され,冷遇されがちな集団に対する関与を大きな柱として,家族や子どもの福祉を支援する政策を進めるとともに,家族の健康に関心があるすべての人々への支援を行っている。
2012 年5 月17 日~19 日,米国サンフランシスコにおいて,第34 回年次総会が開催され,オープンカンファレンスに参加する機会を得たので,ここに報告する。今回のテーマは,FAMILY RESILIENCE(家族の回復力)であった。
初日5 月17 日には,カナダの医師で,今日,注目されているベストセラーの著者でもあるGabor Mate(ガボール・マテ)氏による,“In the Realm of the Hungry Ghost:A Biopsychosocial View of Addiction” (空腹の霊界:嗜癖の生物心理学的視点)と題した基調講演が行われた。マテ氏の著書には,“When the Body Says No:Understanding the Stress-Disease Connection(日本語訳あり)”,“Scattered:How Attention Deficit Disorder Originates and What You Can Do about It”,“Hold on to Your Kids:Why Parents Need to Matter More than Peers(共著)”,さらに,近著には,メインタイトルが,今回の基調講演のテーマと同名の“ In the Realm of Hungry Ghosts:Close Encounters with Addiction”がある。
ガボール・マテ氏は,病から嗜癖まで,子育てからADD(注意欠陥障害)まで,脳の発達における幼児期体験の重要性を唱え,この時期の経験が,その後の行動様式から身体的及び精神的疾患にいたる,あらゆる問題に対して,いかに強い影響を与えるかに焦点を当てている。情緒的ストレスと疾患との関係,すなわち,精神と身体疾患との関係は,しばしば,医学的正当性において議論となるところであるが,マテ氏は,あまりにも多くの医師が,かつて当たり前とされた前提を忘れてしまっていると主張する。すなわち,情緒が,疾病や嗜癖や障害の発生とその治癒過程に,深く関わっているという。
以下は,マテ氏の基調講演の要約である。
タイトルの“In the Realm of Hungry Ghosts(空腹の霊界)”は,仏教の言葉です。仏教心理学では,すべての人が,入れ替わり通って行く沢山の世界があるとされています。一つは,人の世界,これは,通常の自分自身です。そして,地獄という世界があります。これは,耐え難い怒りや恐怖の世界です。こうした感情は,扱うのが難しいのです。動物の世界とは,私たちの本能やイドや熱情です。
そこで,空腹の霊界ですが,そこでは,生きものは,大きな空っぽのお腹,小さな口,がりがりにやせた首を持った人として描かれています。彼らは,決して満足を得ることができません。お腹を一杯にすることもできません。彼らは,いつも空腹で,いつも空虚で,いつも外部からの 満足を求め続けています。外部からの満足を求めたり,空虚であったり,何かによってつかの間の慰めを求めたりする点では,私をはじめ誰にもある心の一部です。しかし,私たちは,外部からの飽食の中で,満足を感じたり空虚感を満たしたりすることは決してできません。中毒者は,いつもそうした世界にいるのです。私たちの殆どが,一時的にしろ,そうした世界にいることがあります。実は,私が申し上げたいことは,明らかな中毒者とそうでない私たちとの間に,明確な区別はないということです。気がついてみると,私たちすべてが一つの連続体の中にいるということです。嗜癖者も,私たち以上に苦しんではいますが,同じ連続体の上にいるのです。
私の治療経験からも,そして米国におけるあらゆる研究からも,筋金入りの薬物中毒者は,例外なく,尋常ではないほど困難な人生を送っている人たちです。その人たちに共通しているのは,幼児期の虐待です。言い換えれば,こうした人々は,いずれも極めて不都合な環境のもとに人生をスタートしています。健全な発達に必要とされるものが得られていないだけでなく,ネグレクト(無視)という否定的環境を体験しています。バンクーバーのイーストサイドの町では,性的虐待を受けなかった女性患者は誰一人としていません。同様に,多くの男性患者も,虐待や無視や遺棄を繰り返し受けています。そして,これこそが,嗜癖の脳生物学を形成するものなのです。言い換えれば,嗜癖は,情緒的苦痛の解放という点では,心理学的に,そして神経生物学的発達面から,幼少時の逆境(adversity)と関係があると言えます。
人の脳は,他の哺乳動物と違って,多くの部分が環境の影響の下に発達します。進化論的に見れば,私たちは,このような大きな頭,大きな前頭葉を発展させ,二足歩行のために狭い骨盤を持つようになりました。つまり大きな頭と狭い骨盤のために,人は未熟に生まれてこざるを得ないということです。頭は,すでに体の最大の部分です。馬は,生まれた日から走ることができますが,人は,2年間では,そこまでも発達しません。つまり,他の動物では,脳の発達は,子宮の中で無事に起きることですが,私たち人の脳の発達の大部分が,生まれてからの環境の中で起きなければならないことを意味しています。
人が,ひどい扱いをうけたり,ストレスを受けたり,虐待を受けたりすると,脳は,当然発達するはずの方向で発達しなくなります。残念ながら,私の職業すなわち医師としての職業では,環境ではなく遺伝性が強調されます。これは,明らかに単純化された説明ではありますが,このことは,すべての人々を責任から解放してくれます。
もし人の行動や機能が,遺伝子的にコントロールされ,規定されるなら,子どもの福祉政策も,妊婦支援も,家族の扶養義務に対して目を向ける必要はないわけです。ご存知のように,北アメリカの多くの子どもたちは,今日,経済的事情から,幼児期より,両親から切り離されているのが現状です。特にアメリカ合衆国では,女性は,家から遠いところに,給料が安い仕事を求めて行かざるをえません。特にシングルマザーでは,そうです。一日の内の多くの時間,子どもに会うことができません。こうした状況のもとでは,子どもの脳は,必要される方向で発達しないのです。
脳の発達が遺伝的なものだとしたら,こうした社会政策について考える必要はありません。ある少数者グループに不利とされる政策についても考える必要はないのです。少数者グループにとって不都合な政策は,よりストレスになり,より苦痛となり,言い換えれば,薬物嗜癖に対するさらなる素地を与えることになります。経済的不公平について考える必要はありません。もしすべてが遺伝子的に決まるのであれば,私たちには責任はないのです。社会は,自らの態度や政策に厳しい見方をしなくても良いのです。
第一に,深刻な嗜癖者になる人たちは,研究で明らかになっていることですが,多くの場合は,被虐待児であったことが分かっています。薬物との戦いは,実に,彼らが生まれた瞬間から,あるいは幼児期から,過去に虐待された人たちに対して行われていると理解しています。見方を変えると,私たちは,虐待されてきたが故に,その人たちを罰しているのです。
第二の点は,嗜癖の再燃と嗜癖行動の最大の動因は,実はストレスであるということが,研究で明らかになっています。今日,北アメリカでは,経済的危機もあって,多くの人々がジャンクフードを食べます。ジャンクフードは,高カロリーの油脂を含み,脳内麻薬でもあるエンドルフィンとドパミンを放出するからです。ストレスが嗜癖へと駆り立てるからです。
ここで,私たちが,どのようにすれば嗜癖者を助けるかという状況を考えてみて下さい。彼らにとって極めてストレスになるシステムを作り出すでしょうか。嗜癖者の病気を排斥したり,無視したり,粗末にしたりするシステムをデザインするでしょうか。そうしたシステムでは,とても 人々を社会復帰させることは,望めません。すなわち,新薬という帝王が市場を席巻していることを考えると,いわゆる「薬物との戦い」は,人々との戦いであり,実にこれが,嗜癖を深く固定化するのです。さらに,ひいてはこうしたことが,ケアというものが乏しい,とてもケアがあると は言えない施設へ人々を収容させるのです。私たちは,これを「矯正(懲らしめの)」システムと呼びます。しかし,何も矯正されないのです。これは,懲罰のシステムです。こうして,人々はますます病んで行きます。いずれ,彼らは社会に出てきます。そして,彼らが施設へ入る前以上に,その嗜癖を固定化させて行くのです。
私自身,ADD(注意欠陥障害)があります。私自身の成育歴ですが,ナチ占領下のハンガリーで生まれました。そのこととADD は大いに関係があります。ADD についても,多くの人は,遺伝子上の問題だと見ております。私はそうは見ておりません。これは,脳発達に関る要因と関連があることです。私の場合は,ナチ占領下のブタペストのゲットーでユダヤ人の子どもとして過ごす中で起きたことです。1944 年3 月,ナチがブダペストに侵攻した次の日に,母は,小児科医と連絡して,「お願いですから私の息子を見に来てくれますか?泣き通しなんです」と言いました。小児科医は言いました。「診に行きますとも。でも,申し上げますが,私が診ているユダヤ人の赤ん坊は,みんな泣いています」
私の母は,私に対してナチがやってきたよと言ったわけではありません。赤ん坊は,ナチのことも大量殺戮のことも戦争のもともヒットラーのことも何も分かりません。赤ん坊は,親たちのストレスを受けとめていたのです。父は,強制労働で家にはいませんでした。母親の両親は,その後連れ去られ,アウシュヴィッツで殺されました。こうした状況の中で,私には,脳の回路の適切な発達に必要な条件が整っていませんでした。赤ん坊は,こうしたストレスの多くをどのようにして処理するのでしょうか。無視するというやり方です。これが,脳がそれに対処できる唯一の方法です。そして,そうすることで,そのやり方が脳の中にプログラミングされます。
今日,北アメリカにおいてADD が非常に多いこと,そして,米国では,中枢神経刺激剤を服用している子どもたちが300 万人いること,さらに抗精神病薬を服用している子どもたちが50 万人いることを考えると,彼らの問題は,養育環境における極度のストレス,すなわち私たちの社会において増大するストレスの結果だと分かります。養育がまずいというのではありません。社会経済状況が原因で,極度にストレスがかかった養育が問題なのです。こうしたことから,私たちには,こうした問題が増えているように見えるのです。
私の場合は,お腹を空かした赤ん坊だったので,決してなだめられることがない,満たされることがないという感覚がつくりあげられました。こうしたことから,私の全生涯において,自分自身をなだめる傾向を持つようになりました。これについては,私はどうすれば良いのでしょうか。一つは,一所懸命仕事をして,多くの賞賛と私を必要としている多くの人々の尊敬を得ることです。幼児期に,世界があなたを必要としていないという印象を持ったなら,あなたは,自分自身が必要とされ,自分なしでは済まされないようにするでしょう。人々は,仕事を通してそのようなことをします。私は,医師という仕事の中でそうしてきました。特にストレスがかかると,買物で自分自身を慰めようとする傾向もあります。何気なく,クラシック音楽のCD を買います。しかし,これは,なだめられることがない赤ん坊の飽くなき欲求への回帰です。こうして,こうした傾向は,ますます増大して行かざるを得なくなります。脳は,自己鎮静化戦略を増大して行くのです。
嗜癖は,極めて人間的現象ですが,社会的レベルでは,逸脱(dislocation)とみなされます。すべての嗜癖者が,自己処方(self-medication)をしているのです。コカインや麻薬は言うまでもなく,抗うつ薬プロザックに代表されるように,薬物治療自体が嗜癖なのです。食事嗜癖という嗜癖行動もあります。家族療法という視点から見れば,嗜癖は,多世代間ストレスのサインと言えます。
ADD は病気ではなく,遺伝的なものでもなく,脳発達の問題であると認めるなら,―嗜癖者にもこのことは言えます―人の脳は,後からでも新しい回路を発達させることができます。これは,人生の後になって,新たな体験によって形づくられる脳の能力,すなわち神経可塑性(neuroplasticity)と呼ばれます。こうしてみると,問題は,症状をいかに制御したり,抑制したりするかではなく,いかに発達を促すかになります。つまり,後に,子どもに環境と脳の回路が発達するために必要な養育をいかに与えるかに関ってきます。
ところで,このことは,嗜癖者が必要としていることでもあるのです。懲罰的なアプローチに代わって,私たちには,より思いやりと優しさのあるアプローチが求められます。人生の早期に,発達が行き詰まっていたのですから,そうすることが,こうした人たちの発達を促すことになるわけです。
以上
講演の後の質疑では,「ストレスがすべて悪いわけではない。unjust(不合理な)ストレスが問題である」「addiction という概念がすべての人に当てはまるという考え方には同意できない」「addiction の解決のためには,アタッチメントの再構築が必要ではないか」などといった聴衆からの意見が述べられた。(訳注:マテ氏の話の中には,addiction という言葉がたびたび出てくるが,講演の中でも述べているように,マテ氏は,addiction という概念を正常から病気とされるまでの連続体としてとらえており,文脈によって,それぞれ麻薬中毒,嗜癖,気休めといったニュアンスで使用されている)
5 月17 日は,Family Resilience: Advancing Clinical Theory, Research, and Practice(家族の回復力:治療と研究と実践を進めるために)というテーマでシンポジウムが持たれた。
family resilience(家族の回復力)という概念は,逆境からの治癒やポジティブな成長のための人の力を理解するうえで,体系的なものの見方を与えてくれるものである。シンポジウムでは,強い関係性こそが,リジリエンスのためのライフラインであり,どのようにすれば,鍵となる相互関係の過程と関係資源が強化され,家族と地域社会におけるリジリエンスを構築することができるかに焦点を当てた意見交換が行なわれた。
この中で,Ms Mary Jo Barrett は,Healing and Resilience from Relational Trauma(関係性トラウマからの治癒とリジリエンス)と題して,20 年以上のトラウマの治療経験のフォローアップ結果の報告を行なった。その中で,トラウマ療法のガイドラインが,クライエントとそのニードに倫理的に同期していることが,決定的に重要であるとして,以下のように治癒にとって大切な5 つの要素について触れている。
- 治療者-クライエント関係:クライエントが治療者の価値を認めるのは,治療者がクライエントの価値を認めているからである。クライエントにとって,治療とは,自分がエンパワーされるための協調関係であると感じることが大切である。
- 具体的で有用な技法:例えば,マインドフルネス,コミュニケーションスキル,養育スキルなど。
- 力の方向性:治療をデザインするためには,クライエントの力を活用する。
- 安全感:治療における予見性と構造は,クライエントに安心感を与える。「治療は,クライエントに起きていることではない。それは,私たちに起きていることである」
- 実行しうる現実を創出する:治療者は,効果に対して自信を持つとともに,治療構造を体系化すべきである。
また,Ms Pilar Hernandez-Wolfe は,近年提唱されているVicarious Resilience(VR,疑似体験としてのリジリエンス)という新しい概念について触れた。誘拐,暴力,自然災害,政変などでトラウマを負ったクライエントの治療過程で,トラウマを負ったサバイバーのresiliency(回復力)に呼応することが,治療者を成長させ,変化させるという肯定的で特有な効果が得られることがある。トラウマ治療におけるこうした特徴は,ふだん治療者が経験する徒労感の多い治療過程を中和し,治療に対する治療者の動機づけを高めるとともに,治療への新たな意味を見出し,こうしたことが,治療者自身をケアする方法の発見につながる。こうした概念は,トレーニングやスーパービジョンや実践に生かすことができると述べた。
Ms CharlesEtta Sutton からは,トランスカルチャー治癒とリジリエンスに対する精神的・身体的・霊的アプローチを組み込んだ実践活動の報告があった。奴隷制度,家族の喪失,言葉の喪失といった歴史的トラウマを負った家族が,伝統的実践の再体験と再結合を通して,回復し,不幸や予期しない変化に対して再適応しやすくなる能力を高めることができる。具体的には,家族,カップル,子ども,コミュニティにおける実践者にとって, 傾聴とスピリチュアリティと問題解決のアプローチを強化する「場」を創出することが重要であり,こうしたことが逆境が転じてリジリエンスの強化につながると語り,希望をinstill する(注ぎ込む)Donnie McClurkin が唄う“We Fall Down, But We Get Up”を紹介した。
今回のオープンカンファレンスのテーマは,Family Resilience(家族の回復力)であった。地域社会におけるリジリエンスを高める場をいかに根づかせて行くかが,クライエントとされた個人や家族だけでなく,治療者の実践を支えることにつながるとして,ジェンダー,集団同一性,メンタルヘルス問題を抱えた人々や家族の横のつながり,ethnicity(民族性)といったバックグラウンドの大切さが強調されていた。
こうした中で,adversity(逆境)の克服のためのhope(希望)とconnection(つながり)がキーワードとして取り上げられることが多かった。この点では,今日のわが国の方向性とも重なるところもあるが,「がんばろう!日本」や「絆」といった,単なるかけ声やしがらみへの期待といったものではなく,地道な実践活動の中で得られた経験とエビデンスを踏まえたものであることは言うまでもない。
現地MFT(認定結婚家族療法家,Marriage and Family Therapist)の意見交換会では,クライエントがカウンセリングルームへやってくる待ちの姿勢ではなく,家庭訪問による家族療法の有用性に加え,ここでも地域社会におけるconnection(つながり)の構築が強調されていた。
個別の発表で印象的であったのは,同性結婚とその親子関係の最前線で働く,治療調停員(therapist-mediator)と家族弁護士(family attorney)から,同性結婚の離婚ケースに対する法的及び情緒的支援に関する報告であった。LGBT(レズビアン,ゲイ,バイセクシュアル,トランスジェンダー)のカップルの複雑な心理社会的事情に配慮したpolite(丁寧)で,compassionate(思いやり深い)な対応が非常に重要であると強調していた。わが国の家庭裁判所における調停制度にはない,複雑な夫婦問題や結婚問題に対する深い理解とある程度の治療的関与ができる一定のプロフェッショナリティ を持った人材の確保と役割が社会的に認知されているという印象を受けた。
(報告者:マインドファースト理事 花岡正憲)
- 第5回精神的健康の増進と精神及び行動の障害の予防に関する世界会議に参加して
- 2008年9月
- 国際交流をとおして肌で感じたメンタルヘルスの多様性
- マインドファースト 理事長 本丸真実
- 精神保健の今日的課題:スティグマ,差別,暴力,貧困の解消に向けて
- マインドファースト事務局長 中添和代
- 精神病早期診断とマネジメント-家庭医のための手引書-
- 2005年4月
- 翻訳・頒布
- The Early Diagnosis and Management of Psychosis -A Booklet for General Practitioners-
- 第28回世界精神保健連盟世界会議に参加して
- 2005年9月
- マインドファースト事務局長 白石裕子