の〈7つの原則〉』(2014年2月 作品社)の中で,「今後10年,人々のイデオロギーの次元での本質的な変化を封じ込めるために,経済・金融・政治的勢力は,結託するであろう。一方,世界市民たちは,経済・金融・政治的勢力に対抗して,さまざまな正当性のある要求を突きつけ,これを封じ込めようとする動きに対して批判を展開する」と述べている。
今日,新しい公共(ボランタリー経済)を創出する動きがある一方で,従来型市場経済(マネタリー経済)の中で国民をコントロールしようとする動きがあることも事実だ。コミュニティワークやNPO活動,そして心のケアやメンタルヘルス活動も,アタリの言う人々のイデオロギー次元での本質的変化とも言えよう。心理職の国家資格化が,こうした次元での対立関係に巻き込まれているとは勘ぐりたくないが,法案のままでは,心理職は医療補助職として,既存の医療経済に取り込まれ,失われてしまうものが余りにも大きい。
公認心理師資格取得のための教育を通しても,医療現場の序列の中で動こうとする人材が育成されていく懸念が大いにある。心理カウンセリングを求めて,医療機関の公認心理師を訪れたところ,インテーク面接と心理テストだけをされて,後は医師の指示待ちといった心理職が,これからの時代を生き残れるであろうか。心理職のもとを訪れるクライエントは,個人的脆弱性や疾病性に特化した心理カウンセリングだけを望んでいるわけではない。
先進諸国では,援助専門家は,必ずしも有資格(licensed)とは限らない。専門性の高い心理的サービスは,サイコロジスト(psychologist)と呼ばれる有資格者だけによって,担われているわけではない。心のケアの複雑化と多義性の中で,特定領域の実践経験やトレーニングを通して認定(credential)を受けた無資格専門家の幅広い活動によって,多様なニーズが支えられているというのが現実だ。資格があることと専門家であることは別である。
共助の意義が言われるようになって久しい。悲嘆カウンセリング,精神疾患ピアカウンセリング,DV支援,自殺者遺族支援,被害者支援などは,元患者や当事者が,自分自身が似たような経験をして,それを乗り越える方法を学んだからこそ,生活者のリアリズムに沿った,より効果的な支援を行なえる。こうした人たちの活動を忘れてはならない。
メンタルヘルスは,医療のマージナル(周辺)領域の活動ではなく,今日,教育,保健医療,福祉,司法,産業,学術,研究,権利擁護,危機管理,災害救助など,普遍性のあるものになりつつある。援助専門家には,いわばユビキタスな能力が期待される。
心理職の国家資格化は,関連諸団体の利害や思惑が絡んで,国民目線での議論が尽くされているとは言えない。公認心理師法の所管庁は,文部科学省と厚生労働省にまたがり,登録も両省にそれぞれ行うようになっている。このことは,早くから議論があった2資格1法案の着地点が,いまだ見出せていないとみることもできるが,心理職の活動が,それだけ学際的(cross-disciplinary)広がりがあるということのあらわれでもある。
同一個体内に異なる遺伝子情報を持つキメラとして誕生する法律とそのもとで仕事をする人たちの活動が国民の間に根づいていくかどうか。法施行における曖昧な部分は,政省令・通知通達で補えると言ったレベルの問題ではなく,議論が不十分であることは明らかだ。法案の成立を急ぐあまり,新法制定時点での矛盾や利害調整を付帯決議や見直し条項で対応するということも,姑息的なやり方だ。
最近,これから生業としての心理関係の仕事を真剣に考えている人たちの間で国家資格の有無が話題になることが少なくない。それだけに拙速な新法成立を避け,広い視野の中で,心理分野における有資格とは何