障害」に有用なのかどうかも不明である。あいにく,Aには,自助グループへの参加と言う選択肢も使えない。衝動のコントロールと言う点で,セックス中毒に陥ったインド建国の父,ガンディーの禁欲生活について言及し,性欲を解放するのではなく,抑圧することの快楽について,批判的な見解を述べている。認知を変えることにより,性衝動をコントロールしようとしたA自身の試みがあったように受け取れなくもない。いずれにしろ,Aの性的欲求の充足そのものが否定されているわけではない。「性的サディズム障害」による興奮が,人の命を奪う。問われたのは,A特有の性欲充足の質的異常であるサディズム(攻撃性)である。それなのに,何故にAをして,性的にストイックになることを求められていると思わせ,それに反発を覚えたのか。そして,その反発がどこに向かっているのか気になるところではある。
4.内省から回復(リカバリー)へ
Aにさらなる内省を期待する意見を述べる者もいる。思春期の子どもに巣くっていた精神的病の克服が,果たして内省を前提としたものでなければならないのかという基本的疑問がある。心理的次元で内省力を高めることを過大視するのではなく,社会経済活動への参加が心理面の安定を促すという視点が欠かせないのではないか。内省よりも,日々の体験を通した気づきの中にこそ,本来の回復(リカバリー)があると思う。
Aは,三島由紀夫を愛読し,手記にも修辞的表現が随所に見られる。強い自己顕示欲と評する者は,どこかで耽美主義的私小説と見る向きもあるのだろう。しかし,こうしたことは,多かれ少なかれものを書く人の通過儀礼として見られるものである。むしろ,自己実現に向けて健全な自己愛を育んでいく途上にあると見るべきだろう。
社会参加とは,個人が自己実現のために社会と向き合うことである。手記の出版は,Aの社会復帰過程における現時点での社会との向き合い方であることには論をまたない。Aが,これに伴う責任を引き受けていくのであれば,それも含めて社会参加と言えよう。
手記の終わりに,被害者の家族へのお詫び文がある。感情論を抜きにして,被害者遺族への配慮という点で,公表の仕方に工夫があっても良かったのではないかという意見はもっともであろう。一方,加害者が回復に向けて,どのような変遷をたどってきたか知りたいという一般の関心があることも事実である。
本を書けば,傷つく人,反発する人がいるかもしれないと感じてはいたが,Aが今を生きるために書く他はなかったということであろう。被害者遺族の了解のもとに手記を出版したとすれば,おそらく,Aにとって社会参加における出版の意味が違ったものになっていたのではないだろうか。特に異論が多い遺族への配慮も,本来は,当事者間の課題であり,第三者による立ち入った論評は難しいことかも知れない。
5.パレンス・パトリエを超えて
手記は,猟奇的連続殺人者のモノローグ(独白)でもなければ,殺人者の心理分析レポートでもない。被害者と加害者は,立場は異なるとはいえ,加害者も被害者同様,起きたことを乗り越えていく流れの中にいる。手記の出版は,こうした中でのAのパラダイムシフトとして,社会の側は冷静に受けとめる姿勢が求められよう。
少年法におけるパレンス・パトリエ(国親)とは,国が親に代わって面倒を見るという考え方に立っている。国の範囲は,権力機構だけでなく,保護司や里親,更生施設,そして一般社会の人々といった広がりのあるものだ。32歳になった少年Aの存在を知り得た者であってもそっと見守るべきであろう。それがあったからこそ,今のAがあるとも言える。少なくとも,今回の手記の出版をセンセーショナルとらえることは,Aの今後の社会参加にとっても,また地域社会にとっても,益す