マインドファーストは,メンタルヘルスユーザー,家族,市民一般からなるNPO 法人で,臨床心理士・精神保健福祉士・看護師・保健師・医師及びその他の支援者の協力のもとに,メンタルヘルスの推進と心のケアシステムの充実に向けて活動を行なっています。
マインドファーストは,メンタルヘルスユーザー,家族,市民一般からなるNPO 法人で,臨床心理士・精神保健福祉士・看護師・保健師・医師及びその他の支援者の協力のもとに,メンタルヘルスの推進と心のケアシステムの充実に向けて活動を行なっています。
マインドファースト事務局:
〒760-0032 香川県高松市本町9-3白井ビル403
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「未知のイゾラドー最後のひとり」を見て
マインドファースト理事 森本雅榮
コロナ禍の中,家にいる時間が増えテレビを見ることが多くなった。再放送されていた番組で忘れられないものが幾つかあった。その中で2018年の「未知のイゾラドー最後のひとり」は,見終わった後いつまでも心に残った。イゾラドーとは文明社会と接触していない先住民のことである。内容を少々書こう。
1987年5月ブラジルのアマゾンの奥地で2人の先住民が突然現れた。こういうことはアマゾンの奥地では時々あることらしい。驚いたことに2人が話す言語は他の部族の誰も理解できなかった。言語学者が共同生活を始めたが30年経っても800の単語しか分らない。1人はアウラ,もう1人はアウレと名付けられ,ブラジル政府が管理する保護区の1つに住むようになった。2人は周りの人には全く溶け込まず,よく諍いを起こし,15年間で13か所の保護区を転々とした。いつも2人で狩りに行って2人で生活していた。他を寄せ付けなかった2人だが,2人が生活する小屋からは話声が途切れることはなかったと言う。
発見されて24年目の2012年9月にアウレが亡くなった。アウラは1人になってしまった。それからアウラは変わった。他の部族との暮らしを受け入れ,しばしば保護区の管理人の所に来て喋るようになった。同じことを喋っていることが多いらしい。恐らく過去の出来事を語っているのだろうが,なぜ2人になったかは分からない。保護区の管理人たちは「聞いているふり」をしていると言う。「誰にも分らない言葉と誰とも分かち合えない記憶を抱えたまま1人生き続ける人間がいる」と語ったナレーターの最後の言葉が胸に突き刺さった。
1人でないこと,つまり相手がいること,そして通じ合える言葉があること,当たりまえのことだが決して当たり前ではない。今後もアウラは文明社会に守られて生きていくだろうが共有する言葉も体験もなく,理解し合える相手もいない。その悲しみは深く永遠の孤独を感じさせる。しかし,もしかすると彼は自分が話す言葉がほとんど理解されていないことや,管理人たちが聞いている振りをしていることは分かっているのかもしれないと思った。彼らが示す「聞いている振り」は,彼を理解しようとする証であり最高の思いやりだろう。そう考えると,彼が話をしにやって来るのは,「聞いている振り」という思いやりに応える行動ではないだろうか。思いやりが分かるから彼はやって来て長く喋って行くのではないだろうか。
人は言葉が通じなくとも,思いやりがあり理解しようとしてくれる人が傍にいるということは,心が癒され満ちたりた気持ちになるものだ。彼は自ら管理人の所に行き,自ら自分の過去を語っている。自ら何かをするということは生きていくうえでとても大切なことである。他者からの思いやりと自ら何かをするという自発性が彼にはある。生きていくうえでとても重要なものを彼は持っていると思われる。
コロナ禍の中,ソーシャル・ディスタンスで人と会う機会が少なくなっているが,話し合える家族や友人がいること,対話の手段も電話・メール・ネット等色々あることは,何と幸せなことかとしみじみと思う。
引きこもっている人たちを考えてみると,彼らは意思を通い合わせる言葉を持っているし,家族もいる。しかし彼らは家族と対話をせずに引きこもっている。もしかすれば引きこもっていてもネットで見知らぬ手がいるなら良い
が,人と語っているのかもしれない。見知らぬ人であっても対話をする相バーチャルの世界でしか話せないとすれば余りにも切ない気がする。本当に話したい人に自発的に話しているとは言えないだろう。引きこもっている人たちは,「誰にも分る言葉」は持っているが,「誰とも分かち合えない記憶を抱えたまま1人で生きている」人なのかもしれない。
色々な考えが迷路のように広がっていく。引きこもっている人たちにとって「誰にも分る言葉」は単に情報を伝達するだけの言葉なのかもしれない。あるいは「誰とも分かり合えない記憶」を語るにはあまりにも無意味な言葉なのかもしれない。彼らの腑に落ちる彼らの言葉が必要なのだろう。しかし彼らはまだ彼らの言葉を持っていないのだろう。「誰にも分る言葉」が意味をなし,「誰とも分かち合えない記憶」を過去の記憶として本当に話したい人に語るのはいつのことだろうか。引きこもっている人たちが語ることができる魔法の杖があればとコロナ禍に思った。
綾川町立綾上小中学校
こころの健康づくり出前授業
8月18日,綾川町立綾上小中学校こころの健康出前授業に理事花岡を派遣,教員21名に対して,講義と事例検討を行った。14:30~15:30の限られた時間の中で,学校現場から要望のあった,ストレスマネジメント,自殺予防のためのゲートキーパー,自傷行為については,いずれもマインドファースト監修のファクトシートに沿って解説を行った。小学生の不登校事例では,家庭訪問による生徒への学校の現況報告や配布資料の手渡しなどは,関係者が知らず知らずのうちに,生徒に対してネガティブなメッセージを与えていることがあるので,できるだけ控えること,子どものエンパワーメントと言う視点から,承認欲求を満たすために,不登校中の日々の生活の中で,生徒が大切にしていることや楽しめていることへの関心を向けてみるよう助言を行った。
第197回理事会報告
日 時:2020年9月14日(月)19時00分~21時00分
場 所:マインドファースト事務局オフィス本町 高松市本町9-3白井ビル403
事務連絡および周知事項,報告事項:省略
議事の経過の概要及び議決の結果
第1号議案 ユーザーの「居場所づくり事業」に関すること:「REPOS」の参加状況は9/6(日)台風のため参加予定者に電話したが不参加とのことで15:00に閉会した。9/13(日)14:~16:00男性2名参加した。ぴあワークス・REPOSに休まず参加していた仲間の欠席が続いているのが気がかりであると参加者から心配の声が出た。また相談室テーブル,トイレ清掃や窓の施錠を参加者が自ら申し出た。上半期の延べ参加者は17名であるがこれはコロナの影響があることで承認された。
第2号議案 令和2年度ファミリーカウンセラー養成講座に関すること:8月24日開催の第151回ファミリーカウンセラー会議にて,会場の都合および次年度の講義開催への影響を考慮して,今年度の開催見合わせが提案されたことで承認された。
第3号議案 世界メンタルヘルスデーに関すること:10/4キャンペーンの参加予定者(9/13時点):島津,花岡,福井(午前中),柾,森本,山奥。①フェイスシールドの準備のためもう一度メールで,また9/28ファミリーカウンセラー会議において再度呼びかける。②準備物:フェイスシールド,パネル大1枚・小4枚,大型リボン(4.5×60㎝)5枚(担当理事山奥)。③カガミ文と発送先名簿(自治体及び関係機関,寄付者,マスコミ)を連休中に理事長島津が理事花岡に送る。花岡が作成した宛名ラベルを9/23までにオフィス本町に届ける。④発送作業日は9/26(土)14:00~16:00とし,発送手段は郵送とする。⑤9/28(月)ファミリーカウンセラー会議でキャンペーンの実際を詰めることで承認された。
第4号議案 令和2年度テーマ募金における募金依頼チラシの印刷等に関すること:募金依頼チラシ印刷は昨年度と同様である。連絡会には理事山奥が出席することで承認された。
第5号議案 認定NPO法人についての学習会に関すること:学習会を土日開催として丸亀在住の塚本公認会計士に依頼する。日時や謝金に関しては今月中に連絡を取り相談することで承認された。
第6号議案 座振込みに関すること:9/20より,百十四銀行の振り込み手数料が有料化(3万円以下110円,3万円以上220円)。百十四ダイレクトは無料である。なお,ゆうちょ銀行は今年4月より振り込み手数料は100円である。インターネット使用に不安を覚える者もいることから手渡しも可能であるが,記帳が重要であるため今後は手数料を引いた金額を振込むことで承認された。
第7号議案 「おどりば」の参加者に関すること:グループ内で家族の話がしにくい参加者に関しては,マインドファーストの個別相談の窓口の活用を提示することで了承された。
第8号議案 マインドファースト通信の原稿に関すること:マインドファーストの活動に参加した場合は編集長から原稿を依頼することがある。また,その他原稿も随時募集しているので投稿を積極的に促すことで承認された。
編集後記:ヒトが使用する言語の意味や構文などを科学的に研究する言語学や言語哲学,記号が他者にどのような影響を与えるかについて体系的に議論する分野である記号学などは,とりわけ,仕事の道具としての言葉を丁寧に使うことが求められる政治家,教職,カウンセラーの基礎教育として欠かせません。わが国では,この分野の教育は著しく遅れています。自民党の会合で,杉田水脈議員が,「女性はいくらでも嘘をつける」と発言しました。当人は「女性を蔑視する意図はまったくない」と釈明しますが,それ以前の問題です。議員にとって大切な道具である言葉を乱暴に扱う。自分にとって大切なものが何なのかに気がついていない人物が,どうして人々が大切にしているものに思いが及ぶでしょうか。政治家として失格です。「学問の自由とは全く関係ない。それはどう考えてもそうではないか」日本学術会議の会員6名の任命を拒否した理由を問われ,菅首相はこう答えました。「どう考えてもそうではない」と言う表現は,何の説明にもなっていません。どう考えてもそうでないと言うなら,そこの説明が必要です。このところの政治家が使う言葉の劣化には目を覆うばかりです。そもそも,こうした人を議員に選んでしまうのは,有権者の言葉の世界の劣化があるからでしょうが。(H)